尾崎放哉の大学時代の俳句

一高から東京帝大へというエリートのパスポートを手に入れた放哉は従妹の沢芳衛に求婚します。
が、芳衛の兄であり東京帝大医学部卒の沢静夫に血族結婚による弊害という医学的理由により反対され、芳衛との結婚をあきらめます。
これが芳衛の芳を取って芳哉と号していたのを、芳衛への想いを放つという放哉に変えた理由だとされています。

また、東京帝大時代に放哉は難波誠四郎、田辺隆二、二村光三らと家を借り、鉄耕塾という名で同居生活を送ります。仲間たちと暮らすという学生らしさが窺えます。
この学生時代の友であった難波誠四郎はその後、放哉のサラリーマン時代に借金の保証人になったことから、放哉には大いに迷惑をかけられています。
にもかかわらず、東洋生命保険会社を追われたのち、放哉に再起させるため朝鮮火災海上保険株式会社の支配人職を斡旋するなど尽力してくれた友です。

以下は放哉の東京帝国大学時代の俳句です。

灌仏や美しと見る僧の袈裟

一斉に海に吹かるる芒かな

提灯が向ふから来る夜霧哉

提灯が火事にとぶ也河岸の霧

春浅き恋もあるべし籠り堂

泥沼の泥魚今宵孕むらむ

塗骨の扇子冷たき別れかな

郷を去る一里朝霧はれにけり

鏡屋の鏡に今朝の秋立ちぬ

木犀に人を思ひて徘徊す

光琳の偽筆に炭がはねる也

初冬の蘇鉄は庭の王者かな

飯蛸や一銭に三つちぢかまる

つめたさに金魚痩せたる清水哉

白粉のとく澄み行くや秋の水

夕ぐれや短冊を吹く萩の風

夕暮を綿吹きちぎる野分哉

行く秋を人なつかしむ灯哉

寝て聞けば遠き昔を鳴く蚊かな

本堂に上る土足や秋の風

七つ池左右に見てゆく花野かな

風邪に居て障子の内の小春かな

いぬころの道忘れたる冬田かな

鶏頭や紺屋の庭に紅久し

別れ来て淋しさに折る野菊かな

山茶花やいぬころ死んで庭淋し

煮凝りの鍋を鳴らして侘びつくす

紫陽花の花青がちや百日紅

大木にかくれて雪の地蔵かな

あの僧があの庵へ去ぬ冬田かな

一つ家の窓明いて居る冬田かな

団栗を呑んでや君の黙したる

春水や泥深く居る烏貝

すき腹を鳴いて蚊がでるあくび哉

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